スウェーデンヒルズ ものがたり Bringing Swedish life to Japan スウェーデンヒルズ ものがたり Bringing Swedish life to Japan

History 森の街、森の家 〜スウェーデン村の未来予想図〜 History 森の街、森の家 〜スウェーデン村の未来予想図〜

北欧視察を経て、北海道石狩郡当別町の街づくり計画に組み込まれることになったスウェーデンの住文化。その決断の背景には、さまざまな人との出会いと交流がありました。

視察時に現地でお世話になった元在スウェーデン日本大使の都倉栄二氏はその一人です。1978年、後にスウェーデンハウスの創業者となる手取貞夫は日本に帰任した都倉氏を北海道に招き、当別町の街づくり計画について相談。そこで受けた「計画の中に“スウェーデン村”構想を取り入れたらどうか」という助言は手取の想いと重なり、同氏にはスウェーデンとの交流の仲介役として多大な尽力をいただくこととなりました。

時を同じくして、スウェーデン側も日本との経済交流を推進しており、当別町での計画をきっかけに、1979年、札幌で「第1回 スウェーデン北海道産業文化提携会議」が開催されました。そこで出会ったのが、スウェーデン国立投資銀行のアルネ・カランス総裁や同国の大使などによる視察団です。当別町を訪れたカランス氏は、ストックホルム近郊とよく似ていて、スウェーデン村の開発に最適な場所と絶賛。これを機に、街づくり構想はさらに具体化し、同国で最も信用のある「ネスウェコンサルタント・グループ」によって次のような基本プランが作成されました。

当時のスウェーデン村完成予想図

当時のスウェーデン村完成予想図

①中心にスウェーデン交流センターを設置し、スウェーデンと同じ雰囲気の街づくりを行う。
②敷地の1/2をゴルフ場とし、住宅開発用地の2/3は自然のまま残す。
③住宅はすべてスウェーデンから輸入し、電線は地中に埋設する。

街の中心につくられたスウェーデン交流センター

街の中心につくられた
スウェーデン交流センター

豊かな自然に映える、統一感のある美しい街並みが広がるスウェーデンヒルズ 豊かな自然に映える、統一感のある美しい街並みが広がるスウェーデンヒルズ

豊かな自然に映える、統一感のある美しい街並みが広がるスウェーデンヒルズ

丘陵の地形や豊かな森林を自然のままに残し“人間らしい暮らし”を未来につなげていこうという発想も、無電柱化して美しい景観をつくる考えも、当時としては画期的なものでした。そこには、「本物のスウェーデンの街づくりと文化をここから広めたい」という想いが込められていたのです。

そして開発が本格化した1984年、街は「スウェーデンヒルズ」と名付けられます。基本プランを変えることなく、開発の進展とともに街並みを整えてきたスウェーデンヒルズ。今もなお、自然の中にゆったりと住宅が建ち並び、ストックホルム近郊の丘の上にいるかのような風景と人々の暮らしを創り出しています。

はじまりの街スウェーデンヒルズ変わらず受け継がれる想い。 はじまりの街スウェーデンヒルズ変わらず受け継がれる想い。