スウェーデンヒルズ ものがたり Bringing Swedish life to Japan スウェーデンヒルズ ものがたり Bringing Swedish life to Japan

History スウェーデンとの出会い 〜100年暮らす家〜 History スウェーデンとの出会い 〜100年暮らす家〜

北海道石狩郡当別町の丘陵地にひろがる街・スウェーデンヒルズ。「人と自然が調和して、心豊かに暮らしを営んでいく」という理想のもと進められた街づくりは、私たちスウェーデンハウスの原点であり、これまでもこれからも変わらず受け継がれていく志です。
そんな想いが込められたこの街の歴史は今から約半世紀前、1970年代半ばまで遡ります。大きな契機となったのは、スウェーデンとの出会いでした。

当時の日本は高度経済成長期の影響から、大量生産・大量消費が当たり前に行われていた時代。急速な経済発展が暮らしを便利に快適に変えていく一方、公害や環境破壊などの社会問題が表面化していました。世界に目を移すと、スウェーデンのストックホルムでは環境問題についての国際会議「国連人間環境会議(1972年)」が初開催されるなど、社会は徐々に「本当の豊かさとは何か?」を模索し始めていました。

そうした中、北海道の石狩湾新港の開発に伴い、当別町に新港関係者に向けた街づくり計画が持ち上がりました。後にスウェーデンハウスの創業者となる手取貞夫は、この街に「人間が人間らしい生活をする場」という理想を描いたのです。

1976年、手取は北欧を含む海外を視察。そこで出会ったのが、スウェーデン式住宅でした。スウェーデンの住思想の根底には、住宅は「つくる」ためのものではなく、安全に快適に「暮らす」ためのものという、「住む人」を中心とした考えがありました。そのために世界に先駆けて住宅の気密性能基準を設け、国レベルで省資源・省エネルギーの観点から住宅の性能向上に取り組むスウェーデンには、安全で快適に豊かな暮らしを育み、世代を越え100年以上住み継いでいける住宅がありました。30年足らずで建てては壊すスクラップ&ビルドを繰り返していた日本の住宅にない住思想に、手取は自身の思い描く街づくりの理想を見たのです。

手取は、これこそ社会が必要とする豊かな暮らしであると確信。スウェーデン式住宅は、その住文化とともに当別町の街づくり計画の中心へと組み込まれ、後に「スウェーデンヒルズ」の街づくりへとつながっていくのです。